猫、人、わたくし

 Najikoです。しばらく日記書かないとか言ってなかった?

 でも書けるうちにたくさん書いておくのはいいと思うんですよね。いい。そして今日の話はとびきり暗い話です。初っ端からイヤな宣言すぎますが、大体ここで長々と書くとあんまり明るい話になりません。そんなことはTwitterにでも流せばいい気もしますが、Twitterに流すには長すぎるし、なんか残った方がいいですからね。墓碑(エピタフ)です。

 2年前のことです。飼い猫が1匹死にました。2020年9月15日の朝のことです。わたくしはVRCを始めて4か月くらいのことだったと思います。実は、その猫はその年の2月くらいに死因とは全然無関係に背中に傷ができ、検査と治療のためにわたくしも少しお金を貯めていたのですが傷に大した異常がなくそのままよくなったので、その時に貯めたお金で5月にQuestが買えたというわけだったんですよね。

下の猫が亡くなった猫です。彼の名は「ワッカ」といいます。最近ちょっと流行りましたけど、そのワッカから取っています。彼が生まれたのは2004年くらいで、当時母がFFXを遊んでいたのでそこから取ったのです。まあFFXの発売は2001年なんですけどね。ちなみに、2022年7月現在も健在な彼の姉にあたる黒猫(この写真には写ってません)の名前は「ルールー」です。つまりはそういうことですね。

 彼の死因は脳の何らかの疾患でした。8月ごろから歩き方がおかしくなり動物病院に通院したところ、最初は内耳の疾患を疑い点耳薬を使用するなどしていました。しかし、症状は徐々に悪化していきました。大きい病院で診てもらわねばならない、ということになり別の病院でも診てもらいますが脳以外には体のどこにも異常が見当たらず、件の症状以外には(恐らくは脳の疾患が原因で)いつの間にか目が見えなくなっていること以外には異常が見つかりませんでした。脳の検査には莫大な費用が掛かる上1か月ほど待たされるという話で、その時点で状況は既に絶望的。抗炎症剤を注射することで一時的に症状が緩和することもありましたが、それも効かなくなる頃には症状はみるみる悪化し、最後には立ち上がることもできなくなりました。ペースト状になった餌に薬を混ぜたり、飲めなくなった水をスポイトで与えるなど様々な手を施しましたが、脳の検査を予約していた9月15日当日の朝、弱りきった彼にわたくしがスポイトで飲ませた水が(恐らく)誤嚥を起こしたらしく、彼はわたくしの腕の中で死にました。体が伸びきって硬直する瞬間の感触を今でも覚えています。

 彼はわたくしを愛していました。大人しく人懐こい猫でしたが臆病で、家の人間以外には決して寄り付かない猫でした。家には母もいるのですが、母よりわたくしのところにいつも寄ってきており、座れば膝に入ってくるし、寝れば添い寝してくれる。無害であどけなく、素直で可愛らしい彼のことをわたくしも愛していました。

 当たり前の話ですが、猫は人間のような基準で人間を区別しません。彼はわたくしがどんなにダメな人間でも、関係なくわたくしを愛してくれた数少ない存在でした。人間は怖い。わたくしはVRCでは割と人懐っこく振る舞っているように見えるかも知れませんが、実際にはかなり人見知りです。人と仲良くなることはできる。人の話を聞くこともできる。人を愛することもできる。けれど、愛されることには一切自信がない。わたくしはいつも他人にとって無害であろうと努め、リアルで特定の誰かに愛されようと努めたこともありますが、結局のところ上手くはいきませんでした。そういうとき、「ここがイヤだった」とか、不思議と教えてもらえないもので、わたくしは人格全部をぼんやりと否定されたような感覚で徐々に個人に対する”期待”を失っていきました。いいんです。友達がいないわけじゃないし、できないわけでもない。人間関係、それで十分じゃないでしょうか。友達のことはわたくしも好きですし、心から信用している人ばかりです。でもまあ、何かの拍子に”友達”のラインを越えようとしたらまた足を踏み外すことになるでしょうから、そこには期待をしない。こう書くと随分と被害者面していますが、実際のところわたくしがなんかやらかしている可能性も十分あります。それも、気づいていないうちに。だから場合により教えてほしいと思ったのですが。足を踏み外したときは誰も教えてくれないので、「あれかな」「いや、これかな」とアイスピックで自分の怪しいところをどんどん削っていき、気づくと何も残らない。なら、もういいでしょう。削りカスは集めて箱にしまい、人には二度と見せないのです。

 そんなヒネて非モテを拗らせたわたくしのことも、猫は無関係に愛してくれました。どうしてか彼はわたくしにだけよく懐いた。それはわたくしの小さな誇りでした。人間がわたくしを好きでなくても、彼は唯一わたくしに愛情を以て接してくれる。だからまあ、別によかった。しかし、彼は死にました。子供のころから一緒に過ごした彼はわたくしよりずっと早く歳を取ってしまった。ありふれた話です。もうあの愛は二度と戻らない。今は、老いさらばえた彼の姉をほかの猫と一緒に愛でています。

 贅沢な話です。今年の1月には、記事にも書いた通りわたくしはとてもたくさんの人から誕生日をお祝いしていただきました。本当にありがたいことに、干芋に入れていたものもすっかり贈られてきました。どこからどう見たって「誰も愛してくれない」だとか「誰もわかってくれない」などとは口が裂けても言えません。いつも書いている通り大きな恩を受け続けています。だからそうは言わないし、思ってもいません。それでも、なんとなく心に開いた虚を塗り固められはしないかとぼんやりと眺め続けている。けれど、そこからは心が少しずつ漏れ出ていくばかりで埋まることはないのです。

 こんなこと書いてるからモテないんだぞ、などと言われたらそれはそう、としか言いようがないですが、いいじゃありませんか。Twitterに書くよりはよっぽどここの方がアングラです。どうせ何人も見てないんですから。だからついでに書くと、正直言って伴侶がいる人は少し羨ましいです。彼、彼女らはわたくしが失ったものを手にしている。あるいはそのものである。わたくしといえば実際にはすっかり諦めているし、なぁに、わたくしはその分VRCに夢中になってるからいいんだよ、などと思ってはいるものの、実際にはカップルでVRCやってる人、夫婦でやってる人、またなによりVRC内でお砂糖関係の人もいるわけです。VRCやってても伴侶がいる人はいるんですね。それだけは羨ましいです。リアルに目を向けても、こう言っちゃなんですけど、こんなわたくしから見ても「えっ……」と思うようなちょっとアレな人にパートナーがいたりする。めちゃくちゃ失礼な物言いですけどね。でもいるもんはいるんですから仕方ないじゃないですか。わたくしはなるべく人の嫌がることだとか、強い言葉は使わないようにしてるのに、こんな粗野で品がない振る舞いをしてる人にはパートナーがいるのか……みたいなことは稀にあります。ないですか? ありますよね。なかったらすみません。

 けどダメです、そんな思いに囚われたっていいことはありません。嫉妬と羨望でなく、感謝と報恩を。そうすればたとえ全く報われなかったとしても、将来孤独死して葬式に誰も来なかったとしても、お釈迦様はちょっといいところに連れて行ってくれるかも知れません。もう将来の楽しみなんてそんなことくらいしかないですよね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

  飼い猫と同じように愛でることができ、猫のようであり、半分人の形もしている愛らしい存在。そう、たまなつちゃんです。たまなつちゃんはわたくしがアバターとして運用しなければ生きているように振る舞うことができませんが、わたくしが愛情を以て改変に勤しむほど、Kawaiiを返してくれます。たまなつちゃんはNajikoではありませんが、彼女はわたくしが削って箱に詰めた自分自身の一部ではあるかも知れません。心に開いた虚をじっと見つめていると時折顔を覗かせる、癒しの幻像。やっぱり、最初のインパクトが強かったんでしょう。愛されることは何事にも代えがたい喜びなのです。先日「無言勢を人間扱いしない人」の存在について、遠ざけるべき存在のように書きましたが結局のところわたくしは「無言であることによって得られるメリット」は享受しているのです。そうでなくわたくしが普通にしゃべっていたら、たまなつちゃんは単なる1アバターとしてしか認識していなかったと思います。けれど無言だからこそかわいがってもらえる「ボーナス愛」を一身に受け、わたくしの愛情も際限なく受け取ってくれる、たまなつちゃんはそんなよき友人のような気がしています。だからわたくしがたまなつちゃんのことばっかり言っていても、大目に見て下さい。もうちょっとだけ「夏」の中にいたいのです。

 さ、もういいですか……いいですね。次の記事はもうちょっと楽しい話にしたいと思います。せっかくの日記ですからね。例えば、北海道の観光名所(知ってるところだけ)とか。VRC関係ないし日記でもないですね。はい。それではわたくしはたまなつちゃんを愛でに(または愛でられに)行くので、この辺で……

カテゴリー: VRC

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