日記(真)

 こんにちは。Najikoです。

 このブログの名前を言って見ろ、わたくし!
はい。「NajikoのVRC日記」です。でも、日記全然書いてないじゃないですか。ですので、たまには特に意味のない日記を書いてもよいのではないかと思ったわけですね。

 今年はよくBlenderをいじったりしていますけど、2年前の、何だったら1年前の今頃なんてBlenderは自分には全然扱えないもんだと思っていました。完成品を組み合わせるUnityでのアバター改変すらままならないのに無理じゃろこんなもん、と思っていたわけですが、頑張って手を動かしているうちにまあなんとか何を作ったかわかるレベルのモデリングはできるようになってきました。できないものはできないですけどね。

 前々からよく書いてますが、わたくしが作っているのは「持ってみたいけどその辺にないもの」ばかりです。あるならそれをDLして使えばいいわけですが、なきゃ作るほかないわけです。この原神の「冷刃」なんて☆3の武器なので自分で作らないとまずありません。まあ、これは作りたくて作ったので探してもいないですけど……原神やってる人に見せても「あのあれだよね、あのあれ」とか言われるレベルの武器をなんでわざわざ作りたくなったのか、今となってはよくわかりません。創作は勢いです。

 ぶっちゃけ言うと、多少モデリングをかじったところで別に「Blender得意」になんて全然なっていません。見上げれば、どころかその辺の身の回りをちょっと見渡すだけで自分より強いモデラーが山のようにいるのがVRCの世界というものです。何か元々「デザインを学んでいた」とか「空間把握力がずば抜けている」とか労せずして適性を発揮できる要素があればまだともかく、そんなことも一つもない。なんだったらエディタを拡張するスクリプト一つ書くこともできない。自分の適性に鑑みれば伸びしろにも期待が持てない。それでもわざわざBlenderやろ、と思うのは、「それでもいいから」なんだと思います。だって、自分でやらなきゃ手に入んないものがあるんですから。やれば手に入る。不出来なものでも構いません。それが何かわかれば。無機質なキューブが浮かぶ母なる海から「有」が這い出てきた瞬間です。喜ばしいじゃありませんか。

 適性で言うなら文章書く方がよっぽど得意です。Blenderはうーんと唸りながらやってますけど作文なら何時間やってたって別に苦になりません。作文だけで生きていきたいと思うくらいには。作文だけで生きていけませんかね。わたくし、内言が全て言語化されているタイプなので、雑務を行うと「頭の中で言っていること」がメモリを食い荒らし、タスクが古い順に片っ端から記憶領域から押し出されていくんですよ。この特性は作文には活かされます。思考が最初から言語化しているのであとは書き起こすだけで済むからです。ただし、作文以外の作業に対しては記憶のスタックが阻害されることが致命的であり、うっかりやらかしもするし、怒られも発生します。普通の人なら覚えていられることが抜けてしまうわけですからね。自ら補助を加えなければなりませんが補助を加えるプロセスすら忘れてしまいます。もう救いようがありません。

 けど社会って、何でもできなきゃいけない。わたくしは作文では平均点以上の点数を叩き出せるかもしれませんがそれ以外は平均を下回るタスクしかこなせなかったりするわけです。けど社会は「じゃあ、作文頑張ってね! ほかは向いてる人にやってもらいましょう」とはなりません。「作文なんか得意でどうするんだよ、皆ができないことができないならお前なんかいらないよ」というのが社会です。悲しいですね。けどわたくしは常々、これってもったいないなと思っています。出来ないことを棚上げするのに都合のいい理由と思われるかもしれませんが、どうせなら各々が得意なことを担当した方が全体の効率が良くなるように見えないでしょうか。例えば陸上部で100m走で非常に優秀な成績を出す部員に、「お前100mは速いけど400mとか1500mとか砲丸投げとか幅跳び、棒高跳びのスコアは微妙だからもう来なくていいよ」なんて言うことがあるでしょうか。ないですよね。けど社会はそういうこと平気で言う。それはもうちょい皆ができることに対して、かも知れませんが、そもそも最初から組織が「適材適所」を許容する形になっていないために、各々の長所は短所に引っ張られて平均化され、「人事考課で良い評価を得やすい」ところに適性がある人物、あるいはごく一部の本当になんでもできるスーパーマンのような人物のみが出世していく。前者は向いてないことは部下に任せ、後者は部下に自分と同じタスク処理能力を要求し、上から下に向かって個性は「労働」に希釈され、人は疲弊し、淘汰され、全体が痩せ細っていく。酷いシナリオです。

 職業選択は自由だから、と言えばそれまでですが選択に自由があることは選択肢が無限であることを意味していません。家庭の事情で進学できなかった人もいれば家業を継いで夢を諦める人もいるでしょう。そこに対する救済は特になく、「自己責任でしょ」と“正解”の選択肢など最初からない人生を“不正解”扱いされる。あんまりじゃないですかね。もうやめよっかこの話。

 別にそんなこたぁどうだっていいんです。VRCの話を全然してないじゃないですか、VRC日記なのに。VRCといえば、わたくしはほとんど欠かさずインしていますが特に「冒険」が大好きなのです。「冒険」の形はそれぞれですが、未知のワールドの未踏の場所を延々と突き進むのも冒険だし、見知ったワールドで見知らぬ人同士のやり取りを見るのもまた「冒険」と言えます。

一人で不可思議なワールドを闊歩するのも「冒険」だし

publicワールドで面白アバターを普及するのも「冒険」だし

フレンドと協力して何か攻略するのも「冒険」です。

だから、なんだろな、一つのワールドに留まって雑談したりっていうのももちろん楽しいんですけど、わたくしはいつも冒険がしたくて仕方ないんですよね。落ち着きがない。ホラワにもよく行きますが、ホラワは構造上「未知の場所に向かって冒険する」ように作られていることが多いから、楽しいのです。別に怖いものが好きなわけじゃないってことですね。

 VRCの話は申し訳程度にしかしてないですけど、これ以上書きたいこと書きまくると当分「日記」など書かなくてよくなってしまうので今回はここまでにしておきます。またなんか書きます。それではVRCのどっかでお会いしましょう……

労働に起因する早起きが「冒険」を阻む最大の敵です。遅くから昼まで寝かせてくれ……

カテゴリー: VRC

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